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マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1551-1608) : ミニ英和和英辞書
マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1551-1608)
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1551-1608) : ウィキペディア日本語版
マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1551-1608)

マリア・アンナ・フォン・バイエルンMaria Anna von Bayern, 1551年3月21日 ミュンヘン - 1608年4月29日 グラーツ)は、ドイツのバイエルン公アルブレヒト5世の娘で、オーストリア大公カール2世の妻。
バイエルン公アルブレヒト5世とその妻で神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の娘であるアンナの間の長女として生まれた。1571年8月26日にウィーンにおいて、母方の叔父で内オーストリア、シュタイアーマルクを統治するカール大公と叔姪婚を行い、間に15人の子供をもうけた。
== 子女 ==

* フェルディナント(1572年)
* アンナ(1573年 - 1598年) - 1592年、ポーランド=スウェーデン王ジグムント3世と結婚
* マリア・クリスティーナ(1574年 - 1621年) - 1595年、トランシルヴァニア公バートリ・ジグモンドと結婚(1599年離婚)
* カタリーナ・レナータ(1576年 - 1599年)
* エリーザベト(1577年 - 1586年)
* フェルディナント2世(1578年 - 1637年) - 神聖ローマ皇帝
* カール(1579年 - 1580年)
* グレゴリア・マクシミリアーネ(1581年 - 1597年)
* エレオノーレ(1582年 - 1620年) - ハル司教座聖堂参事会員
* マクシミリアン・エルンスト(1583年 - 1616年) - ドイツ騎士団オーストリア大管区長
* マルガレーテ(1584年 - 1611年) - 1599年、スペイン王フェリペ3世と結婚
* レオポルト5世(1586年 - 1632年) 前方オーストリア大公
* コンスタンツェ(1588年 - 1631年) - 1602年、ポーランド王ジグムント3世(長姉の寡夫)と結婚
* マリア・マグダレーナ(1589年 - 1631年) - 1608年、トスカーナ大公コジモ2世と結婚
* カール(1590年 - 1624年) - ドイツ騎士団総長、ブレスラウ司教

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1551-1608)」の詳細全文を読む




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